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仏教の五根に学ぶ、より深く知るという事 - 気流の鳴る音 (真木 悠介)

 一般的にみて、私達は目で見たものをあまりにも信じすぎる。目で見えるものがすべてであり、場合によってはそれで全てを知ったと思い込む時がある。真木悠介氏の「気流の鳴る音―交響するコミューン 」の中で、我々がいかに目に支配されているという話の流れでの一文を紹介。

仏教で五根を眼・耳・鼻・舌・身というふうにならべるように、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚は、このように配列することが自然なように思われる。

(中略)

これはこの五つのあいだに、ある基本的な次元で序列性があるからであろう。それはおそらく、対象を知覚するにあたって、主体自身の変わることの最も少なくてよい順であろう。
p.102

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)
真木 悠介
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 「眼」、これは遠くからでも対象物を観察する事ができる。ライオンなどの猛獣であっても遠くからそっと観察する事が可能だ。動物園では安全な場所から檻の中のライオンを観察することができる。遠くに素敵な女性がいて、これは誰でも見ることができる。また少し横に目をやるともう一人別の女性を見ることができる。簡単な動作で、多くの情報を知ることができる事も確かで、その情報を元に様々な推測を立てる事ができる。

 「耳」もまた遠くから観察する事ができるが、目に比べてより近づく必要がある。素敵な女性の声を聞きたければ、近づいて耳を傾ける必要がある。場合によってはこちらから声をかける必要があるかもしれない。その女性の声を聞く為に耳を傾ける必要がある。

 「鼻」は、更に近づく必要がある。より対象が近い場合に匂いを嗅ぐことができる。素敵な女性と握手が出来るくらいの距離に近づかなければ、彼女の付けた香水や髪の香りを嗅ぐことはできないだろう。しかしこれでもまだ対象者に直接触れる事はない。

 「舌」は、より直接的だ。味を感じる器官である舌を、直接対象物に接触させる必要がある。ライオンを見た事がある人は多くいるだろう、ライオンの鳴き声を知っている人もまた多いだろう、ライオンの匂いがどういったものか(動物園などで)感じた人もそこそこいるだろう、しかしライオンを味わった人はいるだろうか?ここまでくると殆どの人が居ないはずだ。牛肉にしても誰かが捌いてくれるからこそで、いざ自分で味わおうとなると大変な労力を伴う。

 「身」はさらに直接的だ。舌が一部の身体の器官であったに対して、身体は全体を表す。対象物に触れる事、そしてそれはまさに「身を持って知ること」と言える。ライオンの鼓動、暖かさ、毛ざわりを、直接的に感じる事ができる。

 これは簡単でもあるし、当たり前の事でもある。動物園でただ動物を見ただけの人に比べて、飼育員や、ムツゴロウさんの方がより深く動物を知っているというそれだけの事だ。

人間関係や物事を深く知るという事に通じる

 途中から女性の例えは省略したが、既にお気づきのように、これはまさに人間関係にも言える事でもある。より親密な関係を結ぼうと思えば、ただ目で見ているだけでなく、順序を経て、最終的には体で知る必要がある。(相手のことをより知りたいと思い)深く関係を持とうとすれば、自然とそれを望もうとするのである。またこういう事も言える。一目見ていきなり好きだといって抱きついたら、これはもうビンタで済めばいいが、まぁ警察沙汰だ。物には順序というものがある。そういう事だ。

 視覚は確かに重要な情報であり、一度に多くの事を知ることができるが、身体を使って知る事の重みもまた深さという尺度において重要である。その事を決して忘れてはいけない。目で見ることは簡単にできるので、広く知ることができるが、より深く知る為には「眼・耳・鼻・舌・身」といった序列による「深さ」を意識する必要がある。そのような事を、この一文で感じた。

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