「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・
中島 義道 (著)
哲学を知識として教える事はできる。例えば、カントはこう言っています、これはこういう考えに基づいて…といった具合に。この書籍は、「哲学的に思考できる能力」を教える事ができるのかというテーマを、フィクション形式で書いたものです。
哲学者を養成する塾という設定の中、6人の塾生と先生との対話を通じて哲学的思考とはなにか?を掘り下げていく事になります。
著者は冒頭で次のように「哲学とは何か?」を定義しています。
何ごとも論理的に語り尽すことではない。論理的に語ることは、あらゆる学問や科学において必要とされることであって、とくに哲学が専有するないようではない。それでは哲学の基本とは何か?それは、自分の「からだ」から湧き出た言葉を尊重して「ほんとうのこと」正確に語りづづけること。そのかぎり、他人を正確に批判し、他人からの批判を正確に浴びることだ。
p.10
「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ (角川oneテーマ21 (C-1))
(2000/12/01)
中島 義道
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最初はこの意味が正確には理解できないかもしれませんが、この本に書いてあるなかでも最も重要な事であるというのが、読み終わった後に理解できるようになります。
自分の「からだ」から湧き出た言葉とは、どんな感情や考えであってもそれを受け止める事という風に私は受け取りました。特に、嫉妬や、嫌悪の感情は自分も認めたくないものです。これを認めて掘り下げていく事は、自分で自分を批判する事に繋がります。これは想像以上に辛いプロセスです。
例えば、みんなからも尊敬されており、仕事も出来る上司がいる。アドバイスも適切だし、言ってる事は理解できて、尊敬もしているんだけど、自分としてはそんな上司を見ていて、なんだかモヤモヤとした感情を自分の中で感じる。端的に言って、上司が嫌いと言える。
その場合、まず嫌いだという感情を受け止めて、何故嫌いかを掘り下げていく。すると奥さんが美人だとか、学歴だの、頭がいいだの、顔がいいだのと、人望だの、自分の持っていない持っている上司に対しての嫉妬の感情に気が付きます。どんどん自分の本心が剥き出しになっていきます。もちろん上司はそういった事は一切自慢したり、見せびらかしたりするような人ではない。でも、嫌いだ。そんな事で嫉妬し、人を判断するなどしたくないはずなのに。やがて、心のモヤモヤが消えない自分が嫌になる。そんな自分に向き合う覚悟が必要になってきます。
ちなみに、「正確に批判」とは単なる感情論にならないという事がニュアンスとしては近いかもしれません。感情から湧き出るものであっても、それを分析して正確に理解し、伝え聞く努力をする必要があるという事です。
個々人のあいだの意見の調整も哲学の基本であるが、それはこの国ではイヤというほど教育される。だが、相手を正面から正確に批判すること、そのように言葉を発することは、わが国では訓練されていないから、いや一般に厭がれることだから、とくに訓練しなければならないように思う。
p.10
他人を正確に批判する事も、労力を使い、心が打ち砕かれるような思いをする事になります。日本においては、疎まれる存在として、孤立する可能性もあります。また反撃を食らって逆に凹むかもしれません。そういったいろんなしがらみの中にあっては、批判したいが、批判できない場面は日常の中でたくさんあります。そこから逃げ出さずに批判するのですから、並大抵の心構えではできません。
正直言って、今回のエントリーでは本書について、まったく上手く説明できている気がしません(笑)。読んでから時間が立っているということもあり、もう一度読みなおしてみようと思いました。
この本は個人的にかなりの衝撃でした。ナイフで傷口をえぐられるような、そんな気持ちにさせられます。人によっては人生観が変わってもおかしくありませんので、心して読んでください(笑)